池井璃花子は仲間と共に夢をかなえた
このほど競泳の東京五輪代表3人(男子17,女子16)が決定しました。
日本大学からは、白血病を乗り越えての今月の日本選手権で4冠を達成した
池井璃花子(20)ルネッサンス、スポーツ科学部3年=をはじめ、
関海哉(21)同4年=小堀倭加(20)=セントラルスポーツ戸塚、日本大学3年、
本多灯(19)=アリーナつきみ野SC,日本大学2年、
長谷川涼香(21)=東京ドーム、日本大学4年=の5人が出場権を獲得した。
競泳ニッポンのメンバーとしてオリンピックで世界と戦う事になった。
日大5人に東京五輪出場権
2大会連続出場
4月3日から8日間、五輪会場の東京アクアテイクスセンターで開催された
日本選手権で、大きな存在感を示した日大。
その主役を務めたのは、もちろん池井璃花子だった。
3年ぶりに出場した大会。
バタフライと自由形のそれぞれ50メートルと100メートルを制して4冠を達成した。
白血病を乗り越え、400メドレーリレーの2種目で五輪代表となった
”奇跡のスイマー”池井璃花子
2016年リオデジャネイロオリンピックから2大会連続出場に、
「5年前とは全く違った立場で迎える五輪で母国開催ということもあり、
リレーで自分の力を思い切り発揮したい」と意気込んだ。
日大はさらに、長谷川が200メートルバタフライを制すれば、
小堀が400メートル自由形を4分6秒34の学生新で優勝。
本多が200メートルバタフライで優勝すると、
籍が100メートル自由形で3位と奮闘し、それぞれが初めての五輪出場権をゲットした。
この5人に加え、
文理学部OGの寺村美穂(26)セントラルスポーツが200メートル個人メドレーで、
日大豊山高3年の柳本幸之介が800メートルリレーで代表に選出された。
今年、日大が掲げた新スローガン
「仲間と共に夢をかなえよう」
支え合い、刺激し合う仲間の存在は、水泳部員たちにとっても大きな力となっている。
2019年9月の日本選手権。白血病で出場がかなわなかった池井璃花子は、
客席から仲間たちを激励。その声援がチームを後押し、
日大は男子が12年ぶりの総合優勝を果たした。
そして今回の日本選手権。再びプールに帰ってきた池井璃花子は、
「入場の時に日大のみんなが全力で手をくれている姿が目に入って、
それがとてもうれしかった。
白血病乗り越え日本選手権4冠「本当にいいチーム」
みんなもすごく喜んでくれているなと。本当にいいチーム」と信頼を寄せる仲間たちの
応援を力に変えて、奇跡の泳ぎを披露した。
後日、選手たちから五輪代表権の報告を受けた日大の田中英壽理事長は
「練習はウソをつかないというのがスポーツ界の基本。
それを実行委員会して日本のだいひょうとなり、
日本大学を掲げていただいたことには大変感謝している」と、
教え子たちの活躍に目を細めた。
このほど日大三軒茶屋キャンパスで開催された壮行会に主席した池井璃花子は、
「今まで世界で経験してきたことを武器にオリンピックでもしっかり戦いたい。
池井璃花子が世界に戻ってきた
”池井璃花子が世界に戻ってきた”ということを、この試合で証明したい」と活躍を誓った。
日大創部94年の実績
創部94年。戦後復興期に活躍した「フジヤマのトビウオ」こと、
伝説の競泳選手、故・古橋広之進氏も在籍した
”水の覇者・日大”が、五輪の舞台でもその名をとどろかせる。
日大水泳部
1927年(昭和2年)創部。インカレ総合優勝は37回。「速く泳ぐだけなら、魚には勝てない」
という故・古橋広之進の教え、”水の覇者・日大”が五輪の舞台でもその名をとどろかせる。
競泳、水球、飛び込み、アーティステックスイミングの4部門があり、
これまでに延べ128人の五輪代表選手を排出し、金6、銀13、銅17個のメダルを獲得している。
最先端の支援スポーツ科学部 日本大学
五輪代表となった日大競泳選手たちの泳ぎを支えるのが、彼らが在籍する日大
「スポーツ科学部」だ。2016年に開設したスポーツ科学部は、最先端のスポーツ理論と
充実した施設で、次世代のトップアスリートや一流指導者の輩出を目指す。
水泳のフォーム解析ができる「流水プール」がある
機材が充実したトレーニングルームに加え、水泳のフォーム解析ができる「流水プール」も完備。
池井璃花子も「整った施設に加え、他競技の選手たちとも交流できるのは私にとって大きなプラス」と、スポーツ科学部で学び、鍛える日々を過ごしている。
まとめ
WordPress見本市ブログは日大OBです。
池井璃花子選手のオリンピックでの活躍をお応援しています。