その葬式、本当に行きたいのか
「この葬式は行くべきか」「香典はいくらにしたらいいか」
この疑問や悩みは、何も私たちだけではなく、年齢に関係ない問題です。
ですから、歳をとったらこうする、という取り決めはありません。
現役時代には、仕事上のかかわりがあり、失礼があればそれは
仕事での自分の立場や収入にも影響するので、葬式は絶対に行くべきです。
お世話になった人や恩人はゆくべきです
また、高齢になっても、お世話になった人や恩人の葬儀には
何はさておいてゆくのが常識といえます。
問題は、今は関係ない昔の仕事関係や友達の友達親というような、
全く面識のない人のところまでいくかどうかということです。
悩んでいる本人は「行く必要があるのか」という気持ちで
いるわけなのですが、そのような疎遠の人の葬儀には、
人数合わせのような参列の意味合いが入り込みます。
それでは気持ちが入っていませんし、その気持がないひとが
行くのは、かえって失礼としか言いようがありません。
ですから、「誘われたから、仕方なく行く」という葬儀への参列は、
もはや止めるほうが良いと考えて当然です。
また、このような考え方もあるようです。
疎遠な人が亡くなったときに、高額な香典を出せば、「いい気味だと思われる」
という勘繰りです。ひとはいかなる解釈をしないとも限りません。
そこで、歳を重ねたら、誰彼構わず連絡が来たら行くというのではなく、
この人には絶対に行くというの決めておき、それ以外は電報などの
本当の義理で済ませるのが「ひとつのルール」と考えるのがいいでしょう。
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連絡がきたから行かなければならない。
そこには「弔いの気持」のかけらもないのです。
それで行くのは、故人は喜ばないでしょうし、無駄な行動に感じます。
私であれば、「義理で来る人はお断り」という遺言を残すかもしれません。
そのように、弔いというのは、、「気持」があって成り立つことであり、
単なる義理や見栄で行われるものではないのです。
引用文献
61才から始める 老いても枯れない生き方
著者 日向野 利治
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