明治維新から百五十年を記念して
林真理子のNHK大河ドラマ西郷どん
歴史学者磯田道史に勧められて
見事に書き上げた原作の
最高視聴率は15,5%
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西郷の利用
二百六十一藩を廃止し徴税権と軍事力とを取り上げ、
県を置き政府が任命する県令を配さなければならない。
それには相当な抵抗が予想され、下手をすると大混乱をきたし、
不平士族らの反乱のきっかけともなりかねない。
そして戊辰戦争以上の内戦に発展しないともかぎらない。
廃藩置県は一挙に行う必要があり、
ある面でクーデター的要素があった。
この計画は三条実美や岩倉具視にさえ伝えられず、
大久保、木戸、山県有朋、井上馨らで進められた。
全国には百五十万人の職を失った士族があふれている。
新政府は兵力はなく財政も乏しい。このような状況の
中で無謀とも思える計画を実施しようというのである。
大久保はこの計画をスムーズにかつベストの
状態で成功させる方策を考えた。
それは西郷にやってもらう以外にない。
幕末動乱を薩摩藩軍を率いて戦い、征東軍大総督府参謀として
官軍を指揮し戊辰戦争を戦い、士族に絶大な信頼と
人望のある西郷を前面に立てれば、不平士族も
むやみに抵抗はしないであろう。
薩長土肥の兵力の中でも圧倒的な兵数を誇る
薩軍が中心になるであろう。
それをまとめ動かせるのは西郷以外にはいない。
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「西郷隆盛」というブランドを利用
長州の兵も奇兵隊が反乱を起こすようでまとまっていない。
そういった意味では、廃藩置県を実行に移す代表者は
大久保であってはならず、まして木戸であってはならなかった。
結局は鹿児島に引き籠もっている西郷を無理矢理引っ張り出し
政局に復帰させて、「西郷隆盛」というブランドを利用して
廃藩置県を行うことがベストの選択肢となった。
そこで政府は1870年(明治三年)十二月勅使として
岩倉具視を鹿児島に向かわせ西郷に上京の勅命を伝えた。
西郷は政府の政策すべてを一任する条件で
岩倉に同行した大久保と山県は西郷に廃藩置県の
主旨を説き、上京するよう説得した。
西郷は政府の政策すべてを一任するという条件の
もとに応諾し、1871年(明治四年)一月上京し
太政大臣三条実美と会い、薩長士三藩の兵を
東京に徴集することを決めていったん帰国する。
四月知藩事忠義とともに歩兵四大隊と砲兵四隊を
率い再び上京する。
二月十三日、薩長土に御親兵招集の命令が下り、
初めて政府直属の軍隊一万(薩摩藩歩兵四大隊・
砲兵四小隊・土佐藩歩兵二大隊・騎兵二小隊・
砲兵二隊・長州藩歩兵三大隊)が誕生し
東京に集結することになった。
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まとめ
西郷は政府直属の軍隊一万を集結し
廃藩置県を行うことに応諾した。
政府は士族に絶大な信頼と人望のある
西郷に頼りそれを利用したことである。
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