チバニアン見学会 現地の写真撮影 civanian kigakuki genchino shamisana

チバニアン見学会 現地の写真撮影

チバニアン見学会の写真撮影  現地まで案内にしたがって向かう途中の参加者

チバニアン見学会 現地の写真撮影 civanian kigakuki genchino shamisana

チバニアン見学会 現地の写真撮影

チバニアン見学会の写真撮影 茨城大学教授 岡田誠教授の現地調査など何度となく現場を訪れたこれまでのご苦労などをお話をされました。現地では参加者に詳しくご説明をして頂きました。


NHK大河ドラマ西郷どん 奄美諸島と沖永良部島に2度島流しされた

こんにちは
WordPress見本市ブログです

明治維新から150年を記念して

林真理子のNHK大河ドラマ西郷どん

歴史学者磯田道史に勧められて

見事に書き上げた原作の

最高視聴率は15,5%

 

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久光に二度島流しされた

 

一度目は1859年(安政6年)1月、現在の

鹿児島県大島郡竜郷町である。

 

奄美本島といわれ奄美諸島の中で一番大きく

現在の奄美市があるところである。

 

西郷が奄美の竜郷に着いた1859年当時そこは

全くの異国であり、

 

島民の服装をはじめ目に映るものすべて、話す言葉の

すべてが、初めて体験することであり異風に感じた。

 

村人の子弟に読み書きを教えたり、狩りや魚を村人と

ともに楽しんだりして、島民の中に深く入り込んでいった。

 

 

一族の娘を妻に迎えることに

 

 

月日がたち、竜郷の有力者である竜佐民の

取り計らいで、一族の娘を妻に迎えることになった。

 

西郷はもうこの島に永住しようと思った、

そして二人の間に第一子菊次郎が誕生した。

 

この間、西郷のもとには藩内の同志の活動や幕府、

朝廷の動向情勢は同志から伝えられていた。

 

安政の大獄を実行した井伊直弼が1860年(万延元年)

3月3日、江戸城桜田門外で水戸藩浪士と

薩摩藩士により暗殺された。

 

と同志からの書面で知った西郷は、思わず

奇声を上げ刀を抜き庭におどりでて、

 

庭にあった桜の木の幹に切り付けたという。

 

竜郷に来て3年が過ぎようとしているとき、

突然薩摩藩庁から鹿児島召還の命令書が届いた。

 

西郷はそれを承知し、帰る準備のため、

しばしの期間をもらった。

 

妻子を竜郷に残し、奄美大島に3年いたと

いうことで大島三右衛門と変名し鹿児島に戻った。

 

1862年(文久2年)2月のことである。

 

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この時期薩摩藩では実質的な藩主である島津久光が

斉彬の意志を継ぎ幕政に改革を迫るべく、まさに

一千人余りの兵を率いて上京するとのうわさが立ち、

 

尊王攘夷、討幕の志士浪士は久光の兵に乗じ討幕の

兵を挙げるなどと殺気立ち騒然とした状況であった。

 

また、薩摩藩内においても有馬新七ら過激派分子が

脱藩突出の危険をはらみ、

 

まさに藩内外において一触即発の情勢であった。

 

久光は計画に水をさされ立腹、さらに命令無視に激怒

 

これらの局面を打開できるのは、先君斉彬の

秘書官として活動し京阪の地の志士浪士に

 

絶大な信頼を得ている西郷以外にはいないと、

大久保ら首脳が嫌がる久光を説き伏せ、

奄美大島召還を承諾させたのである。

 

西郷は鹿児島に帰りつくと、面会を許され

直ちに久光に会った。西郷は久光と対面して、

上京出兵は状況判断が甘く、

 

準備不足で時期尚早であると強く直言し

公武合体計画の見直しを求めた。

 

久光はせっかくの計画に水をさされ、腹立たしい思いであった。

 

西郷を退席させ、計画は続行とし、西郷には

上洛途中の下関での待機を命じた。

 

西郷は下関に着き京阪の地の情勢を収集していると、

過激派志士浪士による挙兵暴発の企てがあるとの知らせを受けた。

西郷は直ちに暴発を止めるべく京へ向かった。

 

下関での待機の命令を無視した行動を知った久光は激怒、

西郷の捕縛命令をだし鹿児島に送還させた。

 

なお久光の怒りはとけず、徳之島遠島の命が下った。

文久2年(1862年)6月である。

 

さらに二か月後、徳之島遠島命令書を見た久光は、

これでは西郷の処分は甘いと思い、命令書に

「囲い牢入り」と書き加え

 

徳之島より遠い沖永良部島への遠島を命じた

(1862年8月)。これが西郷の二度目の島流しであった。

 

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まとめ

 

島津久光は西郷をどこまでも嫌がった。

二度目は罪人としたことからも分かります。

 

西郷はどんな権力者であろうと、どんな尊貴な

者であろうと、自ら正しいと信ずることにおいては、

何者も恐れず、一身を顧みず

行動する人であった。

 

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最後までお読みいただきありがとうございました

 

 

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