チバニアン見学会 現地の写真撮影 civanian kigakuki genchino shamisana

チバニアン見学会 現地の写真撮影

チバニアン見学会の写真撮影  現地まで案内にしたがって向かう途中の参加者

チバニアン見学会 現地の写真撮影 civanian kigakuki genchino shamisana

チバニアン見学会 現地の写真撮影

チバニアン見学会の写真撮影 茨城大学教授 岡田誠教授の現地調査など何度となく現場を訪れたこれまでのご苦労などをお話をされました。現地では参加者に詳しくご説明をして頂きました。


NHK大河ドラマ西郷どん 明治天皇は英雄的君主と話し鍛えた

こんにちは
WordPress見本市ブログです

明治維新から150年を記念して

林真理子のNHK大河ドラマ西郷どん

歴史学者磯田道史に勧められて

見事に書き上げた原作の

最高視聴率は15,5%

 

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西郷は鉄舟らに天皇は英雄的君主と話した

 

1871年(明治4年)、木戸とともに参議となり

政府最高首脳であったとき、

 

西郷はこれまで天皇の側近には女官が多く

侍していたのを改め、

 

侍従に武士階級から山岡鉄太郎、村田新八、

島義勇、高島鞆之介、米田虎雄といった硬骨で

誠実で豪傑といった人材を選んだ。

 

明治天皇は1864年(元治元年)の蛤御門はまぐりごもん

の変のとき十三歳であったが、砲声に驚き気絶

したという。

 

列強が覇を競う中で諸外国と交わるとき、

西郷としては天皇は新国家の統治者として

英雄的君主でなければならないと考えていた。

 

西郷は山岡鉄太郎や村田新八、島義勇らに

自分の考えを話し、彼らに鍛えさせた。

 

山岡鉄太郎(鉄舟)は幕末の剣豪であり

無刀流の開祖である。

 

身長は6尺2寸(188センチ)、体重は28貫(105キロ)あった。

 

その山岡が明治天皇の角力の相手をしたが、

決して負けてあげることをせず、

 

 

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何度も打ち負かしたという。「命もいらず名も

いらず、官位も金もいらぬ人は仕末にこまるなり」

 

と西郷が言った「仕末に困る人」とは、

山岡鉄太郎のことを西郷が評したのでは

ないかと言われている。

 

官軍が江戸に向かっているとき、

山岡は官軍がひしめく敵中を単身突破し、

 

静岡にある征東軍の本陣まで乗りこんできて

一身を顧みず、将軍慶喜と徳川家のため西郷と談判した。

 

その見事さと山岡の人物にほれた西郷が

幕臣であったにもかかわらず、

 

山岡に頼み込んで明治天皇の侍従としたのである。

 

西郷は鹿児島の叔父椎原与三次あての手紙で、明治天皇の

教育の様子を「士族からお召出しになった侍従は

とりわけご寵愛で、修業に勉励のご様子は実に

おさかんなことであります。

 

和、漢、洋の学問にお励みで侍従達と会読を遊ばれることも

あり、寸暇なくご修業におつとめであります」と書いている。

 

これは若き明治天皇への西郷の情愛のこもった手紙である。

 

1927年(昭和2年)の「大西郷全集」では、

「君(明治天皇)を堯舜にすることを理想とした

 

隆盛は、その第一着として1871年(明治4年)

7月宮内の仕官に初めて武士を任用することとした」

と記されている。

 

また1871年(明治4年)7月14日廃藩置県の大令が

公布される前日、

 

「西郷は参朝して主上(明治天皇)からの御尋問

に対し「恐れながら吉之助がおりますから」と

奉答して叡慮を案じ奉った」とある。

 

暴動も予想されかねない廃藩置県の断行に

明治天皇は少なからず不安を抱かれたのであろう。

 

吉之助がおりますからという言葉は西郷の山のような

大きな自信であり、そして天皇の最大の安心と

なったことであろう。

 

西郷の明治天皇への接し方は慈父のごとくであり、

君臣水魚の交わりであった。

それは斉彬と西郷との接し方でもあった。

 

新しい明治国家の若き天皇に対する西郷の

心持ちが分かるというものである。

 

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まとめ

 

13歳の明治天皇を新国家の統治者となるため

の西郷の情愛と心持ちがわかることである。

 

WordPress見本市ブログを
最後までお読みいただきありがとうございました

 

コメント

  1. 田中 進 より:

    村田新八の血縁者を家内に持つものです、4日の「西郷どん」で西郷の命により
    新八が明治天皇に仕えるよう指示されたが、背景までが説明なく、ウイキペディアでも不明でした。 このブログのおかげで、幕臣山岡を筆頭に豪傑武士が
    選ばれて侍従になり、若き天皇の人格形成に役立ったことが よくわかりました。
    有難うございました。

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