チバニアン見学会 現地の写真撮影 civanian kigakuki genchino shamisana

チバニアン見学会 現地の写真撮影

チバニアン見学会の写真撮影  現地まで案内にしたがって向かう途中の参加者

チバニアン見学会 現地の写真撮影 civanian kigakuki genchino shamisana

チバニアン見学会 現地の写真撮影

チバニアン見学会の写真撮影 茨城大学教授 岡田誠教授の現地調査など何度となく現場を訪れたこれまでのご苦労などをお話をされました。現地では参加者に詳しくご説明をして頂きました。


NHK大河ドラマ西郷どん 子供に財産は残さない主義

こんにちは
WordPress見本市ブログです。

動画で英語学習

明治維新から150年を記念して林真理子のNHK大河ドラマ西郷どん

歴史学者磯田道史に勧められて見事に書き上げた原作の

最高視聴率は15,5%

 

 

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児孫のために美田を買わず

 

西郷の有名な言葉に「児孫のために美田を買わず」という言葉がある。

私は子や孫のために財産を求めて、それを子孫に残すことはありません。

あなたがもし私の行動を見て、「なんだ、西郷さんは
美田を買わずなどと言っているけどと、

口先だけで実際は子供のために財産を残しているではないか」と
判断したら、西郷は実につまらない男だと見限ってかまわない、と述べている。

親であれば我が子のため財産の一つ二つは残したいと思います。

子供が人生を苦しむことなく、生活が保証されるだけの財産があればと思う。

親が子に財産を残そうとする行為は、子を思う親の気持ちである。

子や孫のためだと思うと働きがいもあり、楽しくもあり、
残せるという自身の達成感もあるでしょう

西郷が青年時代のまだ郡方書役のころ、
薩摩藩で藩主の座をめぐり兄斉彬派と弟久光派の間に、
すさまじい怨念の争い「お由良騒動」があった。

この事件は薩摩藩主十代斉興が家督を世子斉彬ではなく
弟久光に相続させようと思ったことに端を発したのです。

幕府の老中や他の諸侯とも親交があり英明は
当代一と評される斉彬が藩主になると、

 

やっと立て直したばかりの藩の財政が再び逼迫することを恐れた斉興は、
斉彬が四十歳を過ぎてもなかなか家督を譲らなかった。

 

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後継者に久光を

この間久光の生母である由良は「後継者に久光を」と思い活動した。

これにより、世子斉彬派と久光派に分かれ対立は
エスカレート、双方による調伏・呪殺・
毒害などの陰謀が企てられた。

さらに実力による他派排撃が画策され、ついに久光派に
より斉彬派の主だった者、14人が切腹、
9人が遠島という悲惨な結果に至った。

この事件のとき、西郷家と関係があり斉彬派の中心人物であった
物頭役赤山ゆきえは、着ている肌着を西郷の形見とするように言い
残して切腹したという。

西郷は中国の古典や経書を研究していたから、
人間の際限のない欲望がいかに人を不幸にするかを知っていた。

また、欲を少なくすることが人と人とのかかわりの中で
いかに大切かも知っていた。

「美田を買わず」と言葉にしてたのは、聖賢の道を
行く西郷にとっては当然のことであるが、維新後に成立した
新政府の状況も関係しているだろう。

新政府の要員はほとんどが討幕に
参じた西郷は薩長土肥の下級武士であった。

彼らは政府の高官となり、大名屋敷に住み利財に走った。
これを見て西郷は情けなく思い、また苦々しい気持ちになったはずだ。

維新第一の功労者である自分が質素に振る舞うことで彼らに反省を
促す意もあり、

あえて「私は美田を買わず」と口にしたのではないかと思われる。

徳川幕府に代わる新しい政府を樹立しなければ
ならなかった。

そして多くの犠牲を払い、一つの目的の
ために私心を捨てた義の戦いではなかったのか。

 

それが成立して間もないよちよち歩きの明治国家であるのに、
義戦の思いを忘れ、

皆一様に目先の欲にとらわれ猟官や蓄財に奔走している。

 

このようなことでは、多くの将兵血を流した戊辰戦争は単なる
私利私欲のための戦いであったことになる。

それでは犠牲になった将兵に申し訳が立たない。
これでは単に薩長が徳川幕府に代わっただけのことである。

実際、西郷の次弟吉次郎はこの戦いで戦死している。

吉次郎の死とおまけに二度の島流し

西郷は吉次郎の死を悲しみ申し訳なく思った。

西郷が斉彬に見い出され国事に奔走することになったため、
西郷は家のことをほとんど顧みることが出来なかった。

おまけに二度の島流しである。両親が早く亡くなった
ため、残った弟妹の面倒から家事一切を次弟吉次郎が取り仕切った。

自分が国事に奔走出来るのも吉次郎のおかげであると感謝し、
また申し訳なく思った。

ある日、吉次郎に向かって「自分は西郷家のことは何もできず、
弟の吉次郎に頼りっぱなしになっている。

自分が弟で吉次郎が兄のようなものだ。
今日からは西郷家の長男になってくれ」と言ったという。

吉次郎は家内(西郷家)のこともひと段落した
ということで自分も国のために働きたいと、
官軍に加わり東北地方を転戦していた。

大総督府参謀西郷の実弟であれば、
それなりに優遇され危険の多い前線戦にわざわざ
行くことはなかったと思われるが、それが一小隊長
として戦死したのであった。

 

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まとめ

 

吉次郎は一小隊長としての戦死でした。

それが兄吉之助や西郷家にある「サムライの気風」でも

あったのかも知れませんね。

 

 

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最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

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