明治維新から百五十年を記念して
林真理子のNHK大河ドラマ西郷どん
歴史学者磯田道史に勧められて
見事に書き上げた原作の
最高視聴率は15,5%
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「敬天愛人」西郷の思想を集約したもの
信長の「天下布武」は有名であり、
その目的意識も四文字に明確に刻まれている。
百年続いた戦国乱世を武をもって平定する、
そして新しい時代を築く、
その前に立ちはだかるものは神仏さえも容赦
しないという信長の強い意志が表れている。
そのために比叡山を焼き討ちし、一向宗徒を殲滅した
信長の鬼神のような気魄が「天下布武」にはある。
「敬天愛人」は西郷の思想を集約したものであると言われている。
西郷自身も「敬天愛人」と自らも書き、人に与えている。
天を敬し人を愛するということであるが、
意味が漠然としていて明確に理解できていない。
『西郷南洲遺訓』二十三項に
「道は天地自然の物にして、人は之を行ふものなれば、
天を敬するを目的とす。
天は人も我も同一に愛し給ふゆえ我を愛する心を以て
人を愛する也」とある。
この西郷の説明でも、道とは一体どういうものか
天とは何を指すのか、この場合の人とはどういう人なのか、
具体的でないため分かりにくく、
おそらくこうであろうと類推するしかない。
この言葉に対して西郷自身が詳しく説明しなかったため、
多くの人はだいたいそういう意味だろうぐらいしか
分からないままに、
西郷の思想として四字熟語のように「敬天愛人」と
表現している使っていた西郷自身もアバウトにしか
理解していなかったのではないかと思うほど明瞭ではない。
「人を相手にせず、天を相手にせよ。
天を相手にして、己を尽くし人を咎めず、
我が誠の足らざるを尋ぬべし」と『遺訓』二十五項にある。
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二十一項では「敬天愛人」という言葉を使っている。
「道は天地自然の道なるゆえ、
講学の道は敬天愛人を目的とし、
身を修するに克己を以て終始せよ・・・」とある。
西郷の「天」の思想とは万物を生成し、万物の運行をつかさどる
大宇宙の大いなる善の意志とでも言ったら良いのか。
その創造主的な根源にある善の意志を「天」といったのであろうか。
西郷は、勉強するのも、大学にいって知識を得るのも、
何のためかと言えば、敬天愛人が目的であると言っている。
西郷が流されていた時代の奄美大島には家人
・ヒザという奴隷制度があった。
家人は借金の方や米・籾で買われ主家に年期奉公している者。
ヒザは家人から生まれた子供のことで、
主家の奴隷として生涯その家に属さなければならなかった。
西郷は奄美大島にいる間、この制度の廃止に努め、
自身でも個人を説得して相当数のヒザを解放させていた。
人間社会の矛盾や社会制度の非情さに心を痛めていた。
西郷は奄美大島から去り、しばらくして沖永良部島に流されたため、
直接にはヒザの解放に携わることはできなくなった。
しかし、大島にいるとき制度の廃止に賛同してくれた
木場伝内が奄美大島の代官・相良角兵衛を説得した。
制度廃止に至ったということを木場伝内からの手紙で
西郷は知り、沖永良部島の囲い牢の中で
「ヒザ解放の御処置、まことに驚いた次第です。
とうていそこまではゆくまいと考えていましたが、
案外なことでした・・・」と返事を出し喜んでいる。
西郷は、人間の生命の根本のところまで考えていた。
西郷の哲学といってもよい「敬天愛人」は奄美大島での島民の親切、
役人の圧政と苛酷な年貢の取り立て、
ヒザといった諸々の社会制度、
また沖永良部島での囲い牢での生活の中で、
1箇の人間である個人と天とを結ぶ一種のパスワードとして
敬天愛人という言葉を生み出したのではないだろうか。
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まとめ
西郷の「敬天愛人」は本人も詳細に説明しなかったため、
専門家においても理解しがたいものとなっている。
西郷はが青年時代から聖賢の道を目指して
行動した結果の「敬天愛人」である。
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