明治維新から150年を記念して
林真理子のNHK大河ドラマ西郷どん
歴史学者磯田道史に勧められて
見事に書き上げた原作の
最高視聴率は15,5%
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命もいらず、名もいらず、官位も・・・
西郷(せご)どんは、どう言う考えであったのか。
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は
仕末に困るもの也」とは西郷の言葉である。
一体西郷はこの言葉をどういう考えで、どういう思いで
発したのであろうか。
この言葉は、西郷の中でもとりわけ有名であったため、
「命もいらず」とはどういうことであろうか。
命は人間にとって一番大切なものである。
命もいらないということは自己の存在を一切無にする
ことで、人間が一番恐れかつやりたくないことである。
西郷は、月照との入水自殺で自分独り生を得たこと、
沖永良部島で野ざらしの囲い牢で死ぬところであったのを
土持政照の尽力で再び生を得たこと、
これらのことから、人間の生とはどういうもので、
死とはどういうものであろうか、そして生きるとは何か、
さらに人間の生きる目的とは何かなど、人間の生と死について
牢舎の中で考えに考え、思いに思い真剣に思索を繰り返した。
西郷は二度、自分の意志とは全く関係なく生を得た。
果たして
誰がこの命を与えてたり失わせたりしているのであろうか。
二度生を得たことは偶然であったのだろうか。
斉彬の突然の死と月照の死、孔子、孟子、朱子といった聖賢は
人間の生と死をどのようにとらえていたのであろうか。
人は一分一秒でも長く生きたい。この「この生きたい、
生を惜しむ」ということがとりもなおさず人間にとって
最大の欲ではないかと西郷は思った。
一番失うことを恐れるものであれば、一番維持したい
欲となるわけである。名(名誉や名望)と官位や金は
人間だれしも求めるものであるので欲であるという
ことはわかる。
しかし、命と引き換えにできるほどの欲ではない。
西郷は「命」というものを人間が求める最大の
欲であると言っている。
命という欲を名や官位や金と同様の人間の欲
ととらえ、その中で最大なものを命とした。
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それさえも欲しないということである。
命が惜しい、
一分一秒でも長生きしたいという人間の生存に直結する
最大の欲望をなんとかコントロールすることは
できないだろうか。
人間がこの欲をコントロールできなければ、弱肉強食の
動物となんらかわらないのではないか。
郡方書役として農政の職場で見た藩の圧政にあえぐ農民、
奄美大島で見た過酷なまでの島民から搾取。
腹一杯ではなく、腹七、八分にして
顔形は人間であっても、動物の弱肉強食と同じことを
しているのではないだろうか。
西郷は欲を少なくするという言葉をよく使っている。
人間の最大の欲である生存の欲を少しばかり少なくする
ことが人間と人間の関係をよくする方法だと言っている。
腹一杯食べるのではなく、腹七、八分にして、少しは
抑えようと言っているのである。
そして「命もいらず名もいらず、官位も金もいらぬ人は
仕末に困るもの也、」この仕末に困る人ならでは、
困難をともにして国家の大業はなし得られぬもの也」と西郷は言う。
政治家は命いらぬ覚悟でやるべき
国家の生活や生命を左右することなのである。
それをなす者、たとえば政治家は一番の欲である命をいらぬ
というほどの覚悟でやるべきであり、
そのかくごがなければやってはいけない。
またその覚悟を持った人たちでおこなうものでなければ、
成し遂げられるものではないと西郷は言っている。
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まとめ
一度死んだ西郷は命もいらず、名もいらず、
腹七、八分にして欲を少なく抑えよと訴えているのは、
それを経験した者、にしか分からない。
これは受け取る人によって理解度は異なると思います。
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