大河ドラマ西郷どん、明治維新の大久保利通 木戸孝允と西郷

明治維新から百五十年を記念して

林真理子のNHK大河ドラマ西郷どん

歴史学者磯田道史に勧められて

見事に書き上げた原作の

最高視聴率は15,5%

 

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多くの人が知っている西郷さん

 

西郷隆盛は「西郷さん」と呼ばれ

多くの人が知っている名前です。

 

日本の歴史上最大の変革ともいえる

明治維新の主導者で、大久保利通や

木戸孝允と並び維新の三傑と言われています。

 

また、明治政府による維新の論功行賞で

大久保や木戸が賞典禄千八百石であったのに

西郷は二千石で、当時において独り抜き出て

評価されていたのです。

 

しかし、

西郷が明治政府の中央政府にいたのは二年あまりです。

 

明治六年征韓論争で下野し鹿児島に帰ってからは、

中央政府に戻ることはありませんでした。

 

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そして明治十年の西南戦争で賊軍の大将

として死んでしまったのです。

 

明治政府に反乱を起こしたとして賊名が解か

れたのは十二年後の明治二十二年のことです。

 

西郷は討幕維新の実績とその言行により

「大胆識」「大誠意」「大度量」の人と評され、

 

英雄的風貌とあいまってそのようなイメージ

が定着しています。

 

西郷の多くの伝記や評伝も、このイメージが基本となって

描かれています。

征韓論争にしても何十年も変わらない定説が

現在でも論じられています。

 

しかしながら、『西郷南洲遺訓』を読むと、はたして西郷は

それのみの人物であったかと思えてくるのです。

 

『遺訓』には西郷の人生観、哲学、思想、

国家観が述べられています。歴史家や学者の方が

この『遺訓』ををもとに西郷を研究してくれたら、

今までの通り一遍の西郷像になったのでは

ないかと思います。

 

 

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まとめ

 

明治維新の主導者で評価されるそして征韓論争で下野した

西南戦争で賊軍の大将として亡くなったため解明が出来ない

ことも多くイメージで描かれている。

 

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