月日が心を癒して、悲しみも苦しみも時間が解決します

 

スポンサーリンク

 

月日が心を癒してくれます

 

人生で何が悲しいかというといえば、

大切な身内を亡くすことではないでしょうか。

 

私の義父は、(妻の弟)を31歳で大腸ガンで亡くしました。

札幌に住んでいましたが、いてもたってもいられず上京して、

東京の病院に入院する息子のために毎日、私の家から通っていました。

 

心労のあまり、だいぶ瘦せてしまいかわいそうでした。

私は小さいころ、兄を心臓病で亡くしましたが、

子供心にも「かわいそうな兄」と心に残っています。

 

また、高校生のころに大切なテニス部の親友を失いました。

 

東京に移転した彼との文通が、突然途絶えました。

 

あとから「日本脳炎で死にました」と、

家族からの知らせと彼の写真が送られてきましたが、

あのときの無念さは今でも忘れられません。

 

これは誰もが体験する「親しい人の死への悲しみ」ですね。

団塊の世代今日まで生きてくれば、どなたでもひとつやふたつ、

それ以上の失う悲しみを持っていると思います。

 

特に配偶者の死は最大の悲しみです

 

特に配偶者の死は男も女も皆が感じる最大の悲しみであり、

そのストレス度もきわめて大きいことは

いろいろなデータでわかっています。

 

私などは、無芸大食、妻がいるから働く、頑張る。

このような人生観だったので、先妻が人生半ばで逝ったときには、

生きていく柱を失い、虚脱状態が続きました。

 

仕方なく田舎の実家に時々帰り、昔遊んだ野山を歩きながら、

「心の均衡」を取り戻すのに必死でした。

そうしているうちに、時間が私を少しずつ癒し始めました。

 

「どんな悲しみや苦しみも必ず歳月が癒してくれます。

 

そのことを京都では「日にち薬(ひにちぐすり)と呼びます。

 

スポンサーリンク

 



 

 

時間こそが心の傷の妙薬なのです」(瀬戸内寂聴)確かにそうですね。

結果的に失った心の傷がいえるには、3年はかかりました。

いかにあがいても無理。

私の実感です。

何がそれを解決するかといえば、人の慰めなどではなく、

「時間がたつ」ということでしかないのです。

 

今でも時々夢に出てくるのですからね。幸せだったころの「日常」が。

 

気やすい慰めはかえって悲しみを思い出させ、

悪影響こそあっても、プラスにはならないことを、

経験者として言わせていただきます。

 

もちろん多少の違いはあるでしょうが。

 

引用文献

61才から始める 老いても枯れない生き方

著者 日向野 利治

 

 

スポンサーリンク

 




(自由テキスト)

タイトルとURLをコピーしました