チバニアン見学会 現地の写真撮影 civanian kigakuki genchino shamisana

チバニアン見学会 現地の写真撮影

チバニアン見学会の写真撮影  現地まで案内にしたがって向かう途中の参加者

チバニアン見学会 現地の写真撮影 civanian kigakuki genchino shamisana

チバニアン見学会 現地の写真撮影

チバニアン見学会の写真撮影 茨城大学教授 岡田誠教授の現地調査など何度となく現場を訪れたこれまでのご苦労などをお話をされました。現地では参加者に詳しくご説明をして頂きました。


NHK大河ドラマ西郷どん 日本史の東西の「横綱」は信長と西郷

こんにちは
WordPress見本市ブログです

明治維新から150年を記念して

林真理子のNHK大河ドラマ西郷どん

歴史学者磯田道史に勧められて

見事に書き上げた原作の

最高視聴率は15,5%

 

 

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日本史人で東西の「横綱」は

 

日本史に出てくる人物の中で

「東の横綱」は織田信長であろう。

 

日本史の二大変革といえば戦国時代の

統一と明治維新である。

 

100年続いた戦国時代を平定し、日本の中世から

近世への扉を開けた信長の功績は大きく、

 

信長を「東の横綱」とすることに

多くの人は異存ないであろう。

 

「豊臣秀吉や徳川家康では」という人も

多いであろうが、秀吉も家康も信長あっての

秀吉であり家康でです。

 

秀吉は完全な部下であり、家康は同盟者で

あるが部下のようなものであり、

ともに信長によって鍛えられ成長した存在である。

 

信長は参謀を持たず、己独りの才覚のみで戦国乱世を

切り従えた。神仏を恐れぬ理性に人。

 

あらゆる物事に柔軟に対応できる思考と物事の本質をとらえ、

全体像を見渡し、目標へ向かう鬼神の行動力。

これらのことと信長の桶狭間、美濃攻略、姉川の戦、

比叡山焼き討ちから本能寺までの事跡を

見ると信長の力量は抜群であり、

 

武田信玄や上杉謙信といったその他の

戦国武将とは比べものにならない。

 

一方、西郷に関しては、歴史家や歴史に

精通している人々の評価もかなり低い。

 

明治維新は信長の戦国統一と並び、徳川幕府

という封建時代から近代への扉を開けた

日本史史上最大の変革と言ってよい。

 

その最大の功労者であった西郷はあまり

評価されていない。

 

西郷はそのスタンスとして権力闘争によって権力を

得ようとしなかったことである。

 

極言すれば、「仕末に困るような人」が行う

ものであって、権謀術数を駆使し権力を奪取して

行うものではないと考えていた。

 

権力闘争を経ての政権は、歴代中国王朝の

興亡を見ても分かるように、

 

また島津家の斉彬と久光の抗争でも

分かるように、結果は国民のためというより

私欲のための権力になってしまう。

 

そうであってはならない。またそうさせない

ためにも仕組みはないものかと常に考えていた。

 

しかし、現実の政治は西郷が考えているような

ものではなかった。

 

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西郷の意識は、現代民主主義

自分の信じる政治や政治体制を実現

しようと思えば、毛沢東やスターリンの

ように権力闘争を繰り返すことになる。

 

軍を支配し政敵を排除して自己の権力を

強化し強大にしなければ、

自分の願う政治など行えるものではない。

 

これが日本に限らず世界史の常識である。

 

西郷は明治政府で参議陸軍大将という

官と軍のトップを兼ねたが、

 

それはあくまで仕事上の機能・権限と

考え権力と結び付けなかった。

 

この西郷の意識は、現代民主主義の職務と

権限の考え方に近いと言える。

 

一族が支配できる体制をつくった

 

日本の歴史上、源頼朝・足利尊氏・豊臣秀吉・

徳川家康と比較して西郷がこの考え方を

持っていたことは異色であり、

また彼らに真似のできないことでもある。

 

源頼朝は鎌倉幕府を創設したといっても、

自分と自分の一族のためである。

 

幕府という形は父義朝や平清盛を反面教師と

して、朝廷の権力に巻き込まれないため、

 

京から離れた鎌倉で武家政権を樹立し、自らの

一族が支配できる体制をつくったにすぎない。

 

足利尊氏は源氏の血筋として、鎌倉幕府を

継承するものとして、

時代の混乱に乗じ足利幕府をつくった。

 

秀吉は信長の思想や政治手法をそばで

見ていたであろうが、信長死後は権力闘争を制し、

結局のところたどり着いたのは自分と自分の

一族の繁栄のための政治であった。

 

家康は信長と秀吉を反面教師とし、

徳川家の繁栄と永続こそが日本の安定と

平和につながると考えた。

西郷は私心を捨て全方位に

 

その点、西郷は、日本を欧米列強に

侵食させないという大目的のために政治的

能力を失っている幕府を倒し、

 

一日も早く新しい体制の国家を建設すべく、

私心を捨て全方位に目を配りながら

その役目を果たした。

 

日本を東洋の独立国家として、しかも欧米列強に

一目置かせて存続させたのである。

 

その点で「西の横綱」にしてもよいと思う。

もっとも明治維新は西郷一人の力で実現したものではなく、

幕末から百人を超える人々の功績によるものであり、

チームプレーであったことは十分承知のうえである。

 

また一方では、「西南戦争で明治国家に

反逆した賊軍の大将ではなかったか」と

言うひともいるであろう。

 

しかし、割に合わない西南戦争を起こして敗れてしまうという

馬鹿なことができるのも、私利私欲を求めず国家の将来を考えた

ことであり、これらのことも含めて評価されるべきである。

 

西郷が足利尊氏のようであれば、

そして本気で明治政府に勝とうと思えば、周到な準備をして

環境を整え、勝つようにした上で勝ったであろう。

しかし、そうはしなかった。

 

 

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まとめ

 

戦国時代の統一と明治維新の代表的な二人

信長は、日本の中世から近世への扉を開けた人。

西郷は、私利私欲を求めず国家の将来を考えた人。

2人とも国家に大きな影響を与えたのは間違いないと言えるでしょう。

 

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