親を呼んで一緒に暮らせるか,人脈やお付き合い等考えると難しい

スポンサーリンク

 

スポンサーリンク

 

スポンサーリンク

親を呼んで一緒に暮らせるか?

 

弱った親を違った環境のエリアに引っ越してもらい、

そこで面倒をみる、このような考え方もあります。

 

私の娘は「お父さん、いざとなったら、

東京から大阪に引っ越せばいい」と言ってくれています。

 

しかし、これは親の人脈やお付き合い関係というソフト面の気遣いを

忘れた考え方で、気持はありがたいにしても実現しにくい話です。

 

元気なときはそれなりに住まいの周りにコミュニティや

お付き合いがあり、それが生きていく宝物です。

 

それを投げ捨てて身体だけ子のもとに行くというのは、

「死ぬ準備」のための作業としか言いようがありません。

 

いわば「現代版、姥捨て山」の生活に入るに等しいのです。

 

スポンサーリンク

 



 

「親が心配だから、自分のもとに置きたい」

という気持ちは痛いほどわかります。

 

しかし、親には老いた身だけではなく、

知り合いとともに生きてきたという形があります。

 

それをすべてなげうって知らない土地に行って

老いた身体を任せるというのは、好ましいことではありません。

 

親が弱ってきたから、呼んで一緒に暮らそうという気持ちはわかりますが、

親にとってはそれはまるで「死ぬ準備」の中での生活に等しいのです。

 

私の妻の親にも起こった話ですが、「札幌から東京に」

という話がまだ元気なうちに持ち上がりましたが、

本心では「生きてきた町を離れたくはない。

 

知り合いの中で生きたい」という気持ちがありありでした。

 

そのために、東京から札幌への往復の介護というか

見回りの生活が続きましたが、最後は病院のお世話になることになり、

親の死に目にも時間差のために会えなかったことがあります。

 

このように遠距離に親を置いて生活するのは、

子の責任というよりは、親の都合の部分が多いのです。

 

田舎に暮らして多くの人の中で生きてきた年寄りが、

いざ、というときになって都会に出てくるにはよほどの決意が

なければ困難であり、同意が得られにくいはずです。

 

しかし、病状が重篤になったときには、転院という形で、

近くの信用のおける病院に移すのもひとつの案です。

 

 

引用文献

61才から始める 老いても枯れない生き方

著者 日向野 利治

 

スポンサーリンク

 



 

お知らせ
スポンサーリンク