人に迷惑をかけない備えをする
お金をドンドン使うとは言っても、無計画なやり方は破綻のもとになります。
いくら使い、いかに遊ぶか、幸せを求めるかは、
その人に置かれた環境や資産状況によります。
私たちが、あとの不安をすこしでも和らげるために、
せめてやっておくことがあります。
介護の準備、倒れたときの資産処理、遺言書の作成、葬儀の費用、
お墓の用意、病気への備えなどです。
別に、費用まで用意するという周到さは絶対に必要というわけでは
ないのですが、今時の高齢者は、そこまで考える人が多いようです。
中には生前に戒名までもらっておく人もいます。
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「生前葬式」までやると言いますから、時代が変わりましたね。
いくら貯めておくからということになると、
その人のこれまでの資力で大分の差が出てきます。
「いくらないと老後が暮らせない」という言い方で不安を
抱いている人が多くいますが、それはあまり意味のないことと考えます。
単位が必要だといわれてもさっぱり現実味がないし、足りなければ、
元気なうちにすこしでも働き、楽しい毎日を過ごせばいいのです。
経済評論家で、企業家でもある大前研一氏は
「老後は不満なものと受け入れよ」と言っています。
決して良いことではありません。
民法には子供は親の面倒をみる義務が決められています。
育ててもらってあとは知らないでは、成り立たないのです。
教育の現場でもこのことはしっかりと教えていくべきです。
民法の㈹30条には「直系血族及び同居の親族は、
互いに抶け合わなければならない」。
このように規定されています。
親は子供を、子供は親を助ける義務があるのです。
これが希薄になっているのが今の日本です。
最近の野球選手などは、プロ野球に入るときに「親を楽にさせたい」
などと話す孝行者もいますが、この気風だけは残しておきたいものです。
「備え」の額は人それぞれですので、人に迷惑を
かけないていどではないでしょうか。
これが私の考える「備え」のルールです。
引用文献
61才から始める 老いても枯れない生き方
著者 日向野 利治
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