京には八ッ橋という橋はない?[八ッ橋誕生] 秘話

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八ッ橋の由来は悲しい出来事から生まれた。

 

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本家 西尾八ッ橋

 

八ッ橋誕生物語

 

ほら、ここが京都で一番古い八ッ橋さんやねエ、
八ッ橋って言う名前の橋が
五条大橋みたいに、京都にあるの?

 

あらへん、あらへん
橋をまねしたのは、ほんまやけどな。

ではその、いわれを教えたげよ

 

八ッ橋の由来ゆらい伊勢物語いせものがたり謡曲ようきょく「かきつばた」の舞台ぶたいとなった
三河国みかわのくに八ッ橋」の故事こじにあります。

ではその、「三河国みかわのくに八ッ橋のお話をしましょう。

若くして夫をくし、女手一つで二人の
幼子おさなごを育てる母親がいました。
朝早くから夜遅くまで
一生懸命働いっしょうけんめいはたらきました。

そんなある日

弟が、にいちゃん、ぼくお母ちゃんに会いたい。
お兄ちゃんが、お母ちゃんは仕事だから
がまんするようにいいきかせるのですが。

しかし、弟はお母ちゃんに会いたいと、せがむので
弟の気持ちに、何とかしてやろうと兄が

 

川向こうに、お母さんがいるんだ、
よし、お母ちゃんに会いに行こうと
兄は弟の手をひいて、その川向こうに
わたることにしたのです。

 

にいちゃんこわいよ!
をはなすなよ!

ザブッ、あ!手をはなすなよ!

 

働きに出た母親の後を追った

 

子供たちは途中とちゅうの川で足をすべらせ、
おぼれてくなってしまいます。

かなしんだ母親はかみろし
仏門ぶつもんに入りました。

ほとけつかえながらも1日も子どものことを
思わぬ日はありませんでした。

 

 

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この川に橋さえあればおぼれずにすんだのに

そんなある日、

彼女のゆめに一人のおぼうさんが現れて言います。
おまえの子を思う気持ちは良くわかった。

明日の朝、川の入江いれえへ行きなさい。
そこに材木があるからそれを使って橋を作りなさい。
くなった子どもの供養くようとなるだろう。

 

次の朝、

 

ゆめに出たおぼうさんの言うとおり
川の入江いれえに行くと、たくさんの材木が
波間なみまに浮いているではありませんか。

これを集めてたがちがいいに橋をかけ、
思いをげることが出来ました。

 

いかだを8っつつないだもので向こう岸まで渡れるようにしたのです。

その数が八っつであったことから
八ッ橋と名付けられました。

 

【元禄二年(1689年)西尾家】

 

お母さんの願いがかない、
思いを遂げることができて
ようおましたなア

子を思う親心は
何にもまして
尊いものどすなア

わしは決めましたで
この話をより多くの人に
知ってもらうんや

橋の形に似にせた菓子を八ッ橋と名付る

このお話に感動した元禄時代げんろくじだいの西尾家の先祖せんぞが、
橋の形にせた米の粉のせんべい菓子を作り、
八ッ橋と名付けました。

こうして誕生した八ッ橋が、現在の西尾八ッ橋商品の
元となったのです。

明治時代に入り十二代西尾為治にしおためじが登場します。

パリ万博に出品銀賞を受賞する

明治29年、17歳にして初めて菓子博に出品し、
金賞を受賞した天才菓子職人でした。

明治33年為治ためじは八ッ橋をパリ万博に出品、
見事に銀賞を獲得します。

日本が開国して間もない時期に、海外まで出向き
出品することは当時としては考えられないことでした。

その後も十二代為治は八ッ橋発展のため活躍。

元禄時代から代々伝わる作り方をもとに改良を重ね。
「京に八ッ橋あり」と、その名声を高めました。

と言うわけで

今は十四代目の女社長ががんばってはんねんて。
もうすぐ十五代に代わらはるらしいけど・・・

 

八ッ橋発祥之地

 

現在は本家八ッ橋西尾株式会社として
京都市内に店舗をかまえ営業いたしております。

1969年には京都府から開庁百年を記念して、
開業百年を超える唯一の八ッ橋の老舗として
表彰されました。

また、

熊野神社境内には平安建都千二百年祭を記念して、
「八ッ橋発祥之地」碑と共に、八ッ橋普及の功績を
評価された西尾為治の銅像が建立されました。

為治は明治29年、弱冠十七歳にして初めての
菓子博出品を皮切りに実に百八十余の出品を重ね、
パリ万博銀賞を始めとして国内外において数々の
賞を受賞し、京に八ッ橋あり、と、名声をひろげました。

 

京都・八ッ橋発祥 300年

 

本家西尾八ッ橋
本家八ッ橋西尾株式会社
京都市左京区聖護院西町7
TEL:075-761-0131

 

スケジュール



 

 

まとめ

 

八ッ橋ものがたりを知ってからと、今までと違ってきました。
幼子を亡くした母親がどのくらいつらい思いだったのか
子を持つ親としてとて辛い思いです。

明治29年、17歳にして初めて菓子博に出品し
金賞を受賞した、
天才菓子職人の功績に感動しました。

 

 

 

 

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