会話の往復に意味がある、たまに犬も食わない「口げんか」も理想の形

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会話の往復に意味がある

 

夫婦で家にいて何がいいかと言えば、話をして「共感してくれる」ということです。

 

なんでもいいから、今日あったことを、聞いたこと、テレビの番組に

関する感想など、「そうだね」。

この反応が心を和ませるのです。

 

私の妻は、朝起きてくると、いわゆる「難癖」というか

文句を私に浴びせていました。

 

これは朝のあいさつであり、彼女なりのコミュニケーションなのです。

 

それを無視しようものならば、どんな仕返しをされるかわからないのです。

 

こういうときは、にこにこ笑っているか、逆に、

簡単なギャグでも飛ばして「球をよける」。

 

この手段を身に付けることが大切です。

 

夫婦は日常的に相手の反応を楽しみ、

他人とはできない会話の遊びを行っています。

 

 

これが二人の結びつきを深くして和を作り出します。

 

 

でも、これは理想論で、私の若いころの態度は良くありませんでした。

 

たとえばこんなこともありました。

 

私はプロ野球ファンだったので、

夕食時やそのあとは延々と野球の放送を見るのが常でした。

 

リビングのもう一台のテレビで、妻はドラマをよく見ていました。

 

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ある夜、野球放送のボリュームがあまりにも大きかったのか

「うるさいわね!」というなり、自分の見ていたテレビの

スイッチを切ってしまい、二階に行って長電話を始めてしまいました。

 

こうなると、せっかく家に帰ってきても、

夫婦の会話はなくなり、すれ違いになります。

 

夫婦は何のために二人で同じ屋根の下に住んでいるのかといえば、

お互いに会話をし、だんらんをして気持ちを和ませるためです。

 

それがお互いに好きな行動に走り、「あっち向いてプイ」では、

夫婦関係は良くなるどころか、冷たい戦争に発展しかねないのです。

 

「あそこの家はこうなっている」、「今日街でみかけたことは・・・」

というようなたわいもない話をお互いにしあうというのが、

「夫婦水入らず」の実例であり、理想の形なのです。

 

もちろん、たまには、犬も食わない「口げんか」も仲良しの間柄です。

 

良くないのは「無言」の冷戦ですね。

 

引用文献

61才から始める 老いても枯れない生き方

著者 日向野 利治

 

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