配偶者を失った哀しみは、体験した人でないと理解できない

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配偶者を失うストレスは最大だ

 

最近ではシニアの間でも「婚活ブーム」が盛んになってきています。

誰かと一緒にいる」ということで気持の平穏を求めたいとの願望です。

 

一度手に入れた「家族」を失うことは、これ以上の悲しみはなく、

きわめて強いストレスとなって私たちの体や精神を蝕むのです。

 

近親者、おすなわち、親や子供の死に比べて、配偶者は常に一緒に生きていく
パートナーであり、それを失うことの衝撃の大きさたるや言葉では言い表せません。

 

私の妻は、51歳のときに乳ガン末期の宣告を受け、 55歳の若さで他界しました。

 

闘病生活時は夢中で看護したものの、失ったあとの

あまりの衝撃の大きさに、茫然としてしまいました。

 

葬儀などで私が気丈にしていても「落ち込みの醜さ」が分かるらしく、

「お嬢様は立派だ」なんて言う声が聞こえてきました。

 

「あなたはしっかりしなさい」ということです。

配偶者を失った哀しみはその体験をした人でないと

永遠に理解できないでしょう。

 

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配偶者を持っている兄弟や友人、知人がいかに励まそうとも、

それは無意味なものにしか聞こえてこないのです。

 

もっと大切にしてやればよかった

 

今、私が思っていることは、「もっと大切にしてやれば」、

「ごめんね。迷惑だけかけて優しくできなくて」ということです。

 

配偶者を失った誰もが感じることで、後悔先立たず、

今、その気持ちを忘れないようにすべきなのです。

ともかく、老いてからの人生は夫婦二人が健康で仲が良い。

これにすぎるものはありません。

 

喧嘩も元気なうちですよ。

 

「犬も食わない」のですからね。そのためには、

あとで後悔しないように、老いれば老いるこそ、

相手をいつくしんで生きていくことが大切ですし、

良い人生の最後を締めくくることができると思います。。

 

なによりの「元気で長生き」の条件はここにあるので心したいものです。

 

 

引用文献

61才から始める 老いても枯れない生き方

著者 日向野 利治

 

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